私のルーツについて

コラム

前回、前々回は私がヴァイオリン講師として大切にしていることを書きましたが、今回はそう思うに至った私の経験について、お話したいと思います。

(前回、前々回の記事はこちらです)

なぜ、こんなにも曲のイメージや本人の持つ音楽を大事にしたいと思っているのか。

そのルーツは私が幼少期に海外の先生にヴァイオリンを習っていたことにあります。

私は5歳からヴァイオリンを始めました。

最初は日本で教わっていましたが、小学校2年生から父の転勤により、シンガポールで色々な国の先生にヴァイオリンを習うことになりました!

シンガポールでは、ロシア人、チェコスロバキア人、中国人の先生達のレッスンを受けていました。

その先生たちの出身はみな社会主義国で、当時は(今もそうかもしれませんが…)才能ある音楽家たちが自国では満足のいく活動を出来ずに、シンガポールのオーケストラへ働きに来ていたのです。

そのおかげで私は桐朋学園音楽高校を受験するまでの約7年間、様々な国の先生たちのレッスンを受けることができました。

シンガポールで受けたレッスンはそれまでのレッスンと全く違いました。

レッスンをする側、受ける側とも、レッスンで使う英語が流暢ではなかったからです。

先生達も、英語は母国語ではないので堪能ではなかったし、私も、シンガポールに行ったばかりの時は英語のえの字も分からなかったのです。

けれども、どの先生も身振り手振りで歌ってくれたり、ヴァイオリンを弾いてみせてくれたりしました。

最初はわからないことも多くありましたが、その内先生がお手本を弾いてくれるだけで、言わんとしていることがわかるように…。

音楽には言葉はなくとも、伝える力があるんです。

そして、英語を少しずつ分かるようになってからのレッスンでは、たいていの場合、私の音楽の良い所を探して大げさにほめて伸ばしてくれました。

「Excellent!」(完ぺき!)
「Marvelous!!」(素晴らしい!!)

の嵐で、「弾くことが楽しい!」「私には才能がある!」と思えたのも、そのレッスンのおかげだと思っています。

私の今があるのも、そういったレッスンを受け、自分のやり方を信じることができているからです。

もっともっと生徒さんに 、音楽を感じたり、自信をもって表現することの楽しさを伝え続ける先生でありたい、それが私の信念です。